もくじ: 1.はじめに。 2.古事記には、どんなことが書かれているの?
1.はじめに
「日本神話の神様は、実は実際に生きていた人間なんじゃないかな?」私がそう思うようになったのは、今からおよそ19年位前になるかと思いますが、近隣の新潟県の弥彦神社で由緒書きを読んでからです。
当時私は地元のラジオリポーターをしていたのですが、取材が終わってぶらぶらしている時に(私の当時勤めていたラジオ局は、レポーターが運転も取材も機材の管理もレポートも一人でして、自力で運転して帰ってくるスタイルでした。なので、中継の仕事が終わってからもよくひとりでそのあたりを好奇心の赴くままにうろうろしていたのです→しまいには帰りが夜になって、怒られたりしていました^^;)。
さておき、弥彦神社の入り口にある由緒書きには
「弥彦の神様である天香具山命(あめのかぐやまのみこと)は、地元の人々に稲作や塩づくりを教えてくれた。」
「妻と6人の子供がいて、それぞれをお祀りする社(やしろ)が本殿の脇に並んでいる」
というような事が書いてありました。
それらを読んだとき、「なんだか神様にしては具体的だなあ。まるで生きている人間みたい。もし神様が実在しない霊的な存在だとしたら、そんなに奥さんやお子さんの数まで設定が必要かしら。その為にわざわざ宮を作るなんて、大変だろうし・・・」。
さらに、もうひとつ思い出したのが小学生の時に美術の時間で皆で写生に行った、新潟市の沼垂(ぬったり)というところにある「乙子(おとご)神社」のことです。後にそこの神主さんに、ご縁があり「ここにお祀りしているのはや弥彦神社の6番目のお子さんなんだよ。乙子というのは、末っ子の意味なんだ」と教わったのです。
もし架空の(霊的な)存在なら、末っ子がわざわざ車で40分も離れた場所にいたなんていう細かい「設定」は必要でしょうか?
これは、「実際にそういう方がいらしたのではないかな」と思ったのが日本の神社に祀られている神様は実在の方だったと思うようになったきっかけでした。(※最近になって、この末っ子の神様は「建諸隅命(たけもろずみのみこと)」と仰り弥彦神社の社殿や祭典を整えられたお方だと知りました)。
それまでは神社の神様というと「そうじゃ、わしが神様じゃよ」というドリフのコントに登場する神様的な、白いひげのおじいさんのイメージでしたが(子供^^;)
そう思うと、古事記や日本書紀に出てくる神様や、いろんな神社にお出かけした時に祀られている神様のお名前を拝見した時も「これらはどんな方で、何をされたのだろう」という目で見ていくようになったのです。
・・・さて、前置きが長くなってしまいましたが。
それでは、古事記や日本書紀が実は歴史書で、神様たちは実在の人物だったと思うとどんな物語が浮かび上がってくるのかを勝手に推察していこうと思うので、お時間のある方々はよかったらお付き合い下さいませね(もちろん、数多くある諸説のうちの一個ですのでお気軽に楽しみながらお読み頂けたら幸いです)。
お話が、ちょっと横道にそれますが・・・。
古代神道・古神道とも呼ばれる縄文時代のアミニズム(自然崇拝)においては、神様は精霊のような意味で用いられ、この場合は人間ではありません。大きな岩や樹や動物や、様々な物に精霊(スピリット)が宿ると思われていました。
国造りをされた神々も、含めて、これら日本の神様は一神教のキリスト教における神様(GOD)とは異なる概念で、同じ日本語の神と訳すのはどうなのかなあ?と思います。
なお一神教の神様はこの世界の創造神で唯一神。日本の神道にもそれにあたる神様がいらっしゃいますが、名前を「天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)」とおっしゃいます。
▶和風とは?聖徳太子が「和を以て貴しと為す」と仰ってから、日本は宗教をも和する国となりました。<日本の神様と一神教の神様の違いについて
2.古事記には、どんなことが書かれているの?
→つづく