日本人にとって、鬼とは何か?結論:虐げられた先住民であり、我々の祖先である。ESSAY「金魚古代史研究会」編

最近、テレビでも映画でもインターネットでも関連記事を見かけない日がない位、『鬼滅の刃』が大人気ですね(2020年当時)。
海外でも、”Demon Slayer(デーモン・スレイヤー)”というタイトルで知られてきていますが、日本人の『鬼のイメージというのはどうやら日本独特のものなようです。

そもそも日本人にとって、鬼というのはどんな存在なのでしょうか?

「金魚亭古代史研究会」では、独自の研究と考察を基に日本の鬼についてかなり大胆に
紹介していくので、よろしかったらお付き合い下さいね。

©吾峠呼世晴

もくじ:

1. 日本人がイメージする鬼について。“赤鬼、青鬼、牛の角に虎柄パンツ、手にはこん棒”。これらはどうやって作られていったか?
2.結論。鬼は、かつて日本に住んでいて、渡来人に駆逐・同化された縄文の人々であり、我々日本人の祖先の一部である。
3.日本の歴史や物語に登場する鬼達をご紹介!「土蜘蛛」、「酒呑童子・茨城童子」、そして「桃太郎の鬼退治」など。
4.「鬼滅の刃」に登場する藤の花の場面。「藤の花の家紋の家」は実在する!?
5. 鬼は我々の体にもその血が流れているご先祖様たち。感謝して、敬うべき存在です。

1.日本人が古来からイメージする鬼といえば、「赤鬼、青鬼、牛のツノ。虎柄のパンツに、鉄の棍棒」ではないでしょうか?

日本人がイメージする鬼というのは、大体上のイラストような「赤鬼青鬼鉄製のこん棒を持ち、虎柄のパンツをはいている」というものではないでしょうか?

実はこのような鬼像は、日本独自のものだそうです。中国にも鬼はいますが幽霊とか、もっとスピリット的な、魂的な意味だそうです。普通の人間が亡くなって幽霊となったものも、鬼と言うそうです。

2.結論:鬼とは「大昔から日本列島に住んでいた先住民であり、渡来の人々に征服・吸収・混血された縄文文化の担い手の人々」であり、「我々日本人の祖先の一部」である。

結論から先に言ってしまうと、鬼というのは大昔から日本列島に住んでいた人々であると、金魚亭古代史研究会では考えています。

朝鮮半島からやって来た新羅に融和され、後に百済に駆逐・吸収・混血されていったと思われる、私達日本人の祖先となる方々です。

その数多くの中の一部を以下に挙げてみます。

蝦夷、粛慎など…2万年前にアフリカで誕生した原生人類が、当時氷河期で陸続きだった日本列島にベーリング海峡を歩いてやって来た人々。顔や体に青(濃紺)の入れ墨を施し、青鬼と呼ばれる。 
・熊襲(後に隼人と改名)など…太古の昔、船に乗ってやって来たポリネシアの人々。ムーやレムリア大陸が沈んだ際、高い部分が残ったのが日本(やハワイなどポリネシアの島々)。虫の声を聴くことができる。赤い染料を顔などに塗り、赤鬼と呼ばれる。
・土蜘蛛…朝廷の意に沿わなかった、山に住む土着の人々。手足が長く八束脛(やつかはぎ)などと呼ばれることも。
・呉・越・百越…秦の圧政から逃れて日本にやって来た人々。ことわざの「呉越同舟」は普段対立する同氏でも共通の敵から逃げるの意味ですが、行きつく先は日本だった?インドや、イラン・アフガニスタンなど中東の文化背景の方々も? 
・氏…春秋時代に秦(しん)の始皇帝の命令で、蓬莱山へ不老不死の仙薬を探しに来た徐福(じょふく/よふく)の一行。徐福はヨセフで(私の推測)、ユダヤの方?高い山々に住み、修験道の僧に。八幡宮。天狗と呼ばれることがあると推測。 
・古志)…現在の越後に住んでいた蛇族の人々。鉄器の文化を持ち、八岐大蛇などと呼ばれる。後に仏教に帰依し、八大竜王と呼ばれるようになると推測。 
・インド系の族…水や蛇のトーテムで表される国々。クシナダヒメ、弁天様、宇賀神などが象徴、スサノオと結婚して同化していく女性達が大和国の姫となる。 

・・・などなど、古代の日本にはおよそ50(~100)あまりの小国があったようです。和の五王の時代は、それらの国が和しながら統治していたと思われます。

「和を以て貴しとなす」日本風のことを「和風」と呼ぶのは何故か?様々な小国が”和して”できた国が、日本です。

なぜ、赤鬼・青鬼なのか?

それらの集団の中には、独自の風習を持つ人々が多くいました。例えば、鯨面文身(げいめんぶんしん)とよばれる入れ墨の文化があります。熊襲(くまそ)と呼ばれる人々(後に一部が「隼人」と呼称が変わります)は、顔面に朱色の塗料を塗っていました。また蝦夷や(アイヌとも)の人々も全身や口の周りなどに、濃紺の刺青を施していました。そのような風貌が、都の貴族などからすれば恐ろしい異様な鬼の姿に思えたのでしょう。

なぜ鬼達には牛のツノが生えていて、虎柄のパンツをはいている?

・・・とはいえ、本当に彼らには牛のような日本のツノが生えていたでしょうか?ましてや、当時は日本にはいない動物であった虎の皮を身につけることができたでしょうか?

そのあたりの謎解きはこうです。「丑寅(うしとら)」の方角というのは、東北です。奈良や京都から見ると、東北というのは、恐ろしいものが入って来る方角。まさに「鬼門」といいます。
都に住んでいた百済の末裔である平安貴族達は、鬼門の方角を非常に怖れて、どこかに出かける時にはその方向が鬼門にならないよう「角違え(かたたがえ)」をするほどだったというのを聞いたことがあるかと思います。

だから丑寅うし・とら)の方角からやってくる鬼には、丑(牛)の角が生えているし、虎柄のパンツをはいているというわけです。

その後の歴史を見ても、板東武者などに代表されるように日本では政権がゆるがされるようなクーデターが起こるのは関東や東北など先住民達が住んでいた地域が多いように思います。きっと先祖からの因縁や想いが繰り返されているのではないでしょうか。

●なぜ、鬼は鉄のこん棒を持っている?

「鬼に金棒」ということわざがあるように、鬼の武器と言えばのこん棒と決まっています。

先にあげた先住民の中には、鉄器を使う文化を持っている人々がありました。

桃太郎の鬼退治で有名な宇羅(うら)という鬼が住んでいた岡山県には製鉄場がありますし
八岐大蛇の出身地の古志の国もの産地だったと言われます。

縄文時代の後期。当時北朝鮮の辺りにあった「新羅(しらぎ)」は、元々住んでいた蝦夷などに稲作や塩作りなどの大陸の文化を教えながら、その土地の部族の姫君達と政略結婚などをして、ゆるやかに勢力を広げ蘇我氏と呼ばれていました。

その均衡が破られたのは、同じく朝鮮半島にあった国「百済(くだら)」が朝廷で645年にいわゆる「大化の改新」を起こし、今後は日本の国は自分たちで治める、として皇室を立ててからです。百済が造り変えた朝廷は、土着の人々と新羅が融合して治めていた出雲の国にいわゆる「国譲り」をさせます。

現在の新潟県にある渟足柵(ぬたりのき・ぬたりのさく)や磐船柵(いわふねのき・さく)などの軍事施設を置くと、蝦夷をどんどん北へ追いやり、征服、服従させるなど融合していきました。その中で熊襲は従う道を選び、「隼人」と名前を変えたりもました。

「金魚亭日本史研究会」ESSAY:神話と歴史をつなぐ場所!? 新潟県の渟足柵と磐船柵 について


我々が今読んでいる古事記・日本書紀などの神話&歴史書は、原住民である蝦夷らを服属させた張本人である大和朝廷側によって描かれたものであり、彼らを中心とする物語として編纂されてるようです。

3.日本の歴史や物語に登場する、有名な鬼や妖怪「土蜘蛛」、「酒呑童子・茨城童子」、そして「桃太郎の鬼」などは、いずれも日本列島に先住の人々でした。

鬼退治の物語と言えば、すぐに思い浮かぶのが桃太郎です。これは、吉備の国(岡山県)を舞台にそこに昔から住む豪族の温羅(うら)を、大和朝廷の桃太郎と犬猿雉(いずれも征服に派遣された武将)が退治する物語です。鬼たちの持つ財宝を奪い、褒賞としてきびだんご(吉備の国の領地、だじゃれですね)を与えました。

土蜘蛛は横穴の中に住み、大和王権側から異端視されていたという人々です。脛が長く、八束脛(やつかはぎ)などとも呼ばれるなど数多くのがいましたが、朝廷から征伐されました。源頼光や渡辺綱らが、土蜘蛛を退治したという絵巻が伝わります。



また平安時代になると京都の大江山に住む鬼で酒呑童子の物語も有名です。所説ありますが本来酒呑童子は古志国出身で八岐大蛇の流れを持ち、国上山で仏道の修行に励む絶世の美男で、多くの娘達に思いをよせられるも無視していたのを苦にした女性が自殺。比叡山や高野山も追い出され、茨城童子らと一緒に都に住んでいたのを貴族の女子をさらいその血肉を食べたとして源頼光、渡辺綱らが住吉、熊野、八幡の導きで倒したという伝説です。

ここでも渡辺綱が登場することから、全国の渡辺さんの姓を持つ方々は、節分に豆まきをしなくていいというお話があるとか…。

縄文時代から日本全土各地に暮していた蝦夷は、勇猛で果敢な方々で岩手県あたりの阿弖流為(アテルイ)や母礼(モレ)という男女の蝦夷の首長のお話が残されています。

4.鬼滅の刃で、鬼たちが藤の花を恐れる理由は?「藤の花の家紋の家」は、実在する!?

藤原家郷は平清清盛を打った平安時代の貴族ですが、都での大百足(おおむかで)退治や、宇都宮で百の目を持つとされる百目鬼(どうめき)を討つなど多くの鬼退治の伝説を持ちます(つまり朝廷に従わなかった豪族達を討ったのでしょう)。

ところで鬼滅の刃にも蜘蛛の鬼が出てくるのを覚えていらっしゃいますでしょうか。また、作中で炭治郎達は代々、鬼と闘う鬼殺隊に無償で宿や食事を提供してくれる「藤の家紋の家」に助けられます。また、鬼が「藤の花を嫌う」というエピソードも度々登場し、鬼に対し藤の花の毒が用いられたりしています。

実は、藤の花を家紋とする家は実在するのですがそれがあの土蜘蛛退治をした原家郷らで、有名な「藤原氏」なのです。
大化の改新で朝廷を作った後東北に阿倍比羅夫らを派遣して蝦夷を討伐した中臣鎌足が改名して藤原鎌足となり、藤原氏の租となり、その後藤原氏は千二百年に渡り公家の一大勢力となりました。

5.私たちの血に、今も残る鬼のDNA。地域によっては、愛される存在としての鬼たちがいます。

東北では、今でも「なまはげ」という鬼のお祭り行われますが子供達に悪いことをしないように教える愛される存在です。
京都や奈良では鬼を祀っている神社やお寺がいくつかあり、そちらでは豆まきの時に「福は内、鬼も内」と言うそうです。
佐渡島では、鬼たちが集落を巡って太鼓を打ちならす「太鼓」が、春を告げる風物詩です。

日本人の3割は、DNAにこの鬼、つまり土着の方々の型を持っているといわれます。

追記:京都の大江山で大暴れしていたという酒呑童子は、古志国出身で絶世の美男だったという説があります。国上山で仏道修行にまじめに励んでいたのですが多くの娘に恋文をもらい、放置していたら一人の娘が自殺してしまうことから鬼になっていったとか(このお話は面白いので後にご紹介させて頂きます)。


以上、日本人にとって鬼とは何か?の金魚亭流の考察でした。

今この平和な日常がある日本があるのは、そうして命がけで懸命に生き抜いてくださったお互いの先人の皆様のおかげであると、心から感謝をして毎日ごしたいものです。

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