「金魚亭古代史研究会」ESSAY:邪馬台国があったのは九州?大和?いいえ、金魚亭的にはあの国です。

日本の歴史の中で、紀元三世紀頃に存在したという国「邪馬台国」。

魏志倭人伝」に登場し、女王「卑弥呼」が高齢になるまで祈祷やまじないによって治め、弟が補佐し、亡くなった後は同じく台代(たいよ又は壱予/いよ)という13歳の女性が跡を継いだと言われていますね。

卑弥呼が亡くなった後は2000人の方が一緒に埋葬されたので、かなり大きな古墳があるはずとされています。

しかし日本史上、そんなに有名で存在感がある国であったのにも関わらず、いまだに日本の中のどの地域にあったのかが確定していません。

ある人は九州であると言い、ある人は奈良大和、畿内)であると言います。

その理由は、魏志倭人伝の中に登場する邪馬台国までの行き方が、間違っていると言われるからです。

帯方郡→狗邪韓国 7,000里→対馬 1,000里→一大國(壱岐) 1,000里(帯方郡より9,000里)→末蘆国(唐津)1,000里→伊都国(糸島半島)南東へ陸行 500里(帯方郡より10,500里)→奴国 東へ陸行100里→不弥国 東へ陸行100里→投馬国 南へ水行20日→邪馬台国 南へ水行10日、陸路1月
総距離(帯方郡→邪馬台国):12,000里

資料をそのまま素直に読むと、その位置ははるか太平洋の沖に行ってしまいます。

そこで、

●「方角が間違っていたのだ」とするのが畿内説

●「距離が間違っていた」としたのが九州説

だそうです。

・・・が、私はどちらも間違っていなくてそのまま素直に読んだら行き着く場所なのでは?と思います。

そこの場所には、ただの海ではなくちゃんと島があるからです。

それは、台湾です。

魏志倭人伝には、「一年中裸足でいられる(日本ではとても無理でしょうが、温暖な台湾ならありえます)」とあります。

また、古代史を読み解くにあたり名前ほど雄弁にさまざまな事を語ってくれて当時の状況を教えてくれるものはないと思っているのですが、邪馬台国の名前には、台湾の「台」の字が既に入っているではないですか。

日本が邪馬台国を日本であるとしたのは単なる読み間違いなのか、何らかの権力者による歴史的意図があったのか分かりませんが、金魚亭ではこのように推測しています。


まだ今は妄想だと思われるかもしれせんが(笑)もしかしたら台湾の古代史を調べてみると、3世紀頃に女王が治める国があった、というような記述が出て来るのではないでしょうか?

何か台湾の歴史をご存知の方がいらっしゃいましたら、お教え頂けましたら幸いです。

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