『今日は何の日?』十日夜【TOOKANYA】は、旧暦10月10日の夜10時に猪子餅を頂きます。

秋も深まる旧暦10月10日 は、 3回目のお月見 「十日夜(とおかんや)」です。茶の湯では炉開きをして冬仕様に、夜10時に猪子餅を頂きます。

収穫が終わった田畑の側で 来年に向け子供たちが稲の束で 地面を叩いて廻り、もぐらなどの 害獣を追い出す行事です。作物の実りをもたらしてくれた 地の神を、天に送る意味もあると 言われます。

もくじ:
1.十日夜はいつで、何をする日?
2.十日夜に行う茶道やその他の行事って?
3.猪子餅の由来について


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.十日夜はいつで、何をする日?

十日夜は、旧暦十月十日です。
旧暦【KYUUREKI】とは?こちらからご覧下さい。

2020年は11月17日、
2021年は10月18日、
2022年は10月8日、
2023年は10月27日です。

は、十二支の中で番目の動物です。そこで十日夜は、旧暦日の午後時に亥の子餅【INOKO-MOCHI】を食べるとされています。

亥の子餅はやその子どものうり坊に似せた 「亥の子餅(いのこもち)」を頂きます。

猪子餅に特に決まった形はなく、それぞれのお菓子屋さんで猪をイメージして工夫が凝らされているようです。

紫式部の『源氏物語』では、光源氏紫の上の巻にて、亥の子餅が登場する場面があり、 古くは、大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖(あめ)の七種の粉を入れた餅をついたと記されております。

最近は、大人気の話題のこの人をモチーフとしたお菓子もいいかもしれませんね!?(笑)

食べるのは夜の十時遅い時間なので、太らないようにちょっと注意したいですね(笑)。

2.十日夜に行う茶道やその他の行事って?

秋の終わり頃で、冬の始まり頃であるこの日は茶道では「炉開き(ろびらき)」が行われます。

炉(ろ)というのは、お茶室でお茶を点てる場所の畳に正方形の穴を開け(これを「炉を切る」といいます)、そこにを敷いてを置きをかけ、お湯を沸かす場所です(画像を参照)。

なお、炉縁(ろふち)という枠で囲う部分も、漆で塗ったり蒔絵を施したりして、鑑賞の対象になることがあります。

この日のお茶会では、もちろん和菓子には亥の子餅が登場します。

(また十月一日の玄猪(げんちょ)の日は、江戸幕府でも囲炉裏に火をくべたり、火鉢に火を盛ったりする日だったそうです。諸大名を江戸城に登城させて将軍が鳥の子餅を下賜し、
この風習は、十月一日の和菓子の日として今も残っています。)

また、陰陽五行説では性に当たり、火災を逃れるという信仰があります。
このため江戸時代の庶民の間では、亥の月亥の日を選び、囲炉裏(いろり)や炬燵(こたつ)を開いて、火鉢を出し始める風習ができあがりました。

3.亥の子餅のいわれとは?

仲哀天皇9年、12月に神功皇后は、自ら将帥となり、三韓に出兵した。筑紫に還啓された後、皇太子応神天皇)が誕生した。

仲哀天皇10年、2月に穴門・豊浦宮を出発し、群郷百僚を率いて海路をとり、大和に凱旋する途中に、皇太子の異母兄である香阪(かごさか)・忍熊(おしくま)の二王子が、やがて皇太子が即位することを嫉(ねた)んだ。二王子が相謀り、皇太子を迎え討って殺害しようと大軍を率いた。上陸するのを待つ間、戦の勝敗を卜(ぼく)して(占って)、能勢(大阪府)の山に入り、「祈狩」(うけいがり)を催した。

「戦に勝つならば、良獣を獲られるであろう」と言っていたが、まもなく、大が現われ、香阪王に飛び掛った。香阪王は驚いて、近くの大樹によじ登ったが、猪は大樹の根を掘り起こし、遂に香阪王は死亡した。忍熊王はこの事を聞き、怪しみ恐れて、住吉に軍勢を退いた。

神功皇后はこの事を聞かれて、武内宿禰に忍熊王を討伐を命じた。忍熊王は戦に破れ、山城国宇治に退き、さらに近江国瀬田に逃れたが、死亡した。これにより、皇后皇太子は、無事に大和の都に凱旋した。その後、神功皇后が崩御し、皇太子(応神天皇)が即位した。応神天皇は、皇太子の時に、猪に危難を救われた事を思い出して、吉例として、を発して、能勢・木代村、切畑村、大円村より、毎年10月の亥の日に供御を行うように命じ、亥の子餅の献上の起源であると言い伝えられている。
(Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A5%E3%81%AE%E5%AD%90%E9%A4%85)

 

 

ESSAY:亥の子餅のいわれについて調べたら、なんとここでも神功皇后の三韓征伐のエピソードが登場!天皇の危機を救った猪のエピソードとは。

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